父はもう他界していて、私に残っている親は母だけです。
その母が、いつ亡くなってもおかしくない状態になりました。今日は、そのことを書きます。
認知症が始まったのは、10年以上前でした
最初のころは、ものとられ妄想がありました。
財布がない、鞄を盗られた。そう言って警察へ行ってしまうことが、何度もありました。あのころは、母に対してひどいことを言っては後悔しての繰り返しでした。
足腰が丈夫だったので、ひとりでよく買い物に出かけていました。困ったこともありましたが、自分の足で歩いて、自由に出かけられていたのです。
少しずつ、できないことが増えました
認知の低下が進んで、ひとりで出かけることはなくなりました。
デイサービスに通い、訪問看護や訪問介護にお世話になりながら、暮らしていました。気がつけば、徐々にできないことが増えていきました。
誤嚥性肺炎を、繰り返すようになりました
ここ最近は、誤嚥性肺炎を何度も繰り返すようになりました。
飲み込む力が弱って、食べたものや唾液などが肺に入ってしまう。そのたびに熱が出て、体力が落ちていきます。そして、もう今では寝たきりになりました。つい2か月ほど前は、なんとか歩くことができていたのに。
食事もあまり食べなくなりました。水分も取れないので、脱水になりやすい状態です。
数か月前にも肺炎で入院し、退院はできたのですが、そのあとまた誤嚥性肺炎になりました。その繰り返しです。
胃ろうの話が出ました
食事も水分も入らないので、胃ろう(おなかに穴を開けて、そこから栄養を入れる方法)を作ることも考えました。
病院では、「胃ろうも延命です」と言われました。
母にはリスクが高いとも言われました。手術に耐えられるか。入院している間に、かえって状態が悪くなる可能性もある。そうなれば、自宅に帰ってくることすらできなくなります。
何のために、誰のために
このとき、いろいろなことを考えました。
口から食事が取れない。本人はもう、いろんなことをわかっていない。それなのに、何のために命を延ばすのか。誰のためなのか。
本人が望んでいるのかも、わかりません。聞いても、何も理解できません。まだしっかりしている時に、自分の最期をどうしたいのか聞いておくべきでした。
そして、私自身がずっと親身にしてきたわけでもありません。その私が「生きていてほしい」と言って、苦痛を伴う処置を選ぶのは、いったい誰のためなのだろう。そう思いました。
もともと家族で話し合って、最期は自宅で、積極的な治療はしないという方針を決めていました。だから、胃ろうを作ることも、入院することも選びませんでした。
できるだけ苦痛なく、自宅で。それが家族で出した答えでした。
でも、点滴は続けています
とはいえ、口から入らなければ脱水になります。それを放っておくのも、やはりできませんでした。
だから、点滴という選択肢だけは残しています。自宅で、点滴と酸素の投与を、できる範囲で続けています。
点滴だって、延命なのですが。
矛盾しているのは自分でもわかっています。でも、そこは線を引けませんでした。
往診に来てくださる先生からは、あまり回復は期待できないと言われていました。数日くらいだろうと、覚悟していました。
それが、今も生きています
薬が効いたのだと思います。
今は少し食事ができるようになりました。声をかけると、軽い受け答えもしてくれます。日によってはぐったりして、また悪くなったかと思う日もありますが、なんとか生きています。
覚悟していたぶん、この時間は思いがけずもらったもののような気がしています。
近くに住んでいたのに、会いに行きませんでした
正直に書きます。
私は今まで、あまり母に会いに行きませんでした。近くに住んでいるのに、です。
まったく何もしていなかったわけではありません。認知症が進んで、母が銀行でお金をおろせなくなったころから、金銭の管理は私がしています。月に一度くらいの病院の受診も、私が付き添っていました。一緒には暮らしていませんでしたが、そういう最低限のことはしていました。
でも、それ以外は何もしていませんでした。
理由は、はっきりしています。自分の時間を優先していました。それだけです。
昔はよく反抗しましたし、ひどい言葉をぶつけたこともあります。でも、それが理由で足が遠のいていたわけではありません。ただ、自分のことを優先していただけでした。
それが今は、ほとんど毎日、顔を見に行っています。オムツを替えて、食事を食べさせて。
寝たきりになって、いつ亡くなるかわからない状況になって、やっと面倒を見るようになりました。
今さらだな、と自分でも思います。
母は、私が娘だとわかっていません
いつからか、もう私のことがわかりません。
娘だと認識されないまま、体を拭いたり、食事を口に運んだりしています。返事をしてくれることはありますが、それが私に向けられたものなのかは、わかりません。
友人のこと
同じように、母親の面倒を見ている友人がいます。
その友人には兄がいて、母親から、兄との扱いに差をつけられていたようです。それでも母親の面倒をよく見ています。決して楽な関係ではないはずなのに。見ていて、すごいとしか言いようがありません。
私は兄弟で差を感じたことが一度もありません。
それなのに、私はこんな状況になるまで会いに行かなかった。友人を見ていると、そのことを考えます。
同じ状況ではないですが、友人のお母さんは積極的に治療を続けています。どちらが正しいという話ではないのだと思います。どこで線を引くのか。それは、家族の数だけ答えがあるのだと思います。
それと、もうひとつ。友人は、ほとんどひとりで親の面倒を見ています。
うちは兄弟で協力できています。そういう意味で、私は救われています。誰かが行けない日があっても、別の誰かが行ける。治療方針を決めるときも、同じです。ひとりで背負わずに済んでいるのは、本当に大きいことです。
エンディングノートに、抜けていたこと
実は、エンディングノートは前から書き始めていました。子どもの進路が決まった春に、そう思い立ったのです。そのときのことは、別の記事に書きました。
子どもの進路が決まった春、エンディングノートを書こうと思った理由
ただ、そのとき書いたのは、お金に関することが大半でした。家のこと、光熱費、保険、銀行の口座。あとは「お墓はいらない」といった、おおまかな希望をいくつか。それくらいです。
今回のことで、そこに大きな抜けがあったと気づきました。
胃ろうの話が出たとき、いちばん困ったのは母の気持ちがわからないことでした。本人に聞けない。聞いても答えられない。だから家族で想像するしかありませんでした。母ならどうしてほしいと言うだろう、と。
あのとき何度も思いました。元気なうちに、聞いておけばよかった。
お金のことは書いてあるのに、いちばん決めるのが難しいことは、何も書いていなかったのです。
今、書き足していること
こんなことを書いておこうと思っています。
- 病気になったとき、病名も含めて全部知らせてほしいこと
- 治療をどこまでしてほしいか
- 最期をどこで迎えたいか
- お葬式やお墓のこと
書いてみると、意外と手が止まります。自分のことなのに、すぐには決められないのです。決められないからこそ、元気なうちに考えておく必要があるのだと思いました。
だから、とりあえず今思っていることを書くことにしました。
完璧でなくていい。空欄があってもいい。考えが変わったら、そのつど見直せばいいのだと思います。何もないよりは、ずっといいはずです。
書いておきたいのは、家族が迷わなくて済むようにするためです。自分のためというより、残される人のための紙だと思っています。
書くこと自体が、いい時間でした
もうひとつ、思いがけない発見がありました。
エンディングノートを作る時間そのものが、とてもいい時間なのです。
お金のことを書こうとすると、家計を整理することになります。保険は今のままでいいのか、使っていない口座はないか。ふだん後回しにしていたことに、自然と向き合うことになりました。
治療や最期のことを書こうとすると、今度は家族のことを考えます。この子たちはどう思うだろう。何を負担に感じるだろう。そういうことを、ゆっくり考える時間になりました。
縁起でもないもの、という気がしていましたが、そうではありませんでした。むしろ、今の自分と家族を見直すための紙だったのだと思います。
ひとりで逝かせたくない
今さらですが、私が思っているのはこれだけです。
母が息を引き取るとき、そばに誰かがいてほしい。
これは「自分が立ち会いたい」という意味ではありません。私でなくてもいいのです。兄弟の誰かがいるときであってほしい、という意味です。
誰もいないときに、気づいたら息をしていなかった。そうなるのが、なんとなく切なすぎる。
死ぬときというのは、きっと怖いのだと思います。不安なのだと思います。未知の世界なので、本当のところはわかりません。でも、もし怖いのだとしたら、そばに誰かいるだけで、少しは安心するんじゃないかと思うのです。
言葉がわからなくても、私が娘だとわからなくても。誰かの気配がそこにあるかどうかは、伝わるような気がしています。
立派な介護ができているとは思いません。長年の埋め合わせができるとも思っていません。願っているのは、それだけです。
だから兄弟で協力しながら、なんとかやっています。誰かが行けない日は、別の誰かが行く。そうやって、日をつないでいます。
何が正解なのかは、いまだにわかりません。
胃ろうを選ばなかったことも、点滴を続けていることも、正しかったのかどうか。たぶん、これから先もわからないままだと思います。
いつまで続くのかも、わかりません。明日かもしれないし、もう少し先かもしれない。
わからないまま、今日も顔を見に行きます。
※この記事は、2026年10月時点の記録です。


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